• 【追悼】水木一郎「アニソンの帝王」の歩みとほろ酔いで呟いた歌への思い
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2022.12.16

【追悼】水木一郎「アニソンの帝王」の歩みとほろ酔いで呟いた歌への思い

アニソンの帝王・水木一郎の歌声は永遠に


ここで筆者個人の思い出を書かせて頂きたい。
高校1年生の頃から通っていた日本コロムビアの今は無い部署名、学芸部にいらしてディレクターや宣伝担当と談笑している姿を何回も見かけた。1984年にLPレコード4枚組の初めての全集『水木一郎 熱唱! 男の詩 アニメ特撮 ベスト71』が発売。この封入特典のカラーポートレートに直筆サインを書き込んでいた時は、たまたま近くにいた。
何枚かに1回、名前の他に男の子の顔を書き添えて、「コレが付いているのは当たり」と言っていたのが記憶に残っている。この頃に言葉を交わしたのは、色紙にサインを書いて頂いた1回だけだった。
▲高島氏が所蔵する水木氏のサイン色紙

そして、歳月を経た1998年。日本コロムビアにいる同学年の友人でもあったディレクターから、当時バップで勤務するディレクターだった筆者に水木一郎さんのデビュー30周年記念の5枚組CD-BOXの企画について相談を受けた。まず頭に浮かんだ『熱風伝説』というタイトルが採用された。収録内容の選曲・構成、封入ブックレット内の解説ページや、帯に載せるキャッチまで作った。キャッチの中で、水木一郎さんの歌声を熱風ボイスと形容させて頂いた。

この当時は、レコーディングした順番に収録の『水木一郎大全集』という各2枚組で全5巻のCDが発売中だったので、歴史をまとめる内容ではなく、「歌のテーマパーク」を作ろうと考え、スーパーロボット、スポーツアニメ、曲数が多い『仮面ライダー』、その他の特撮ヒーローといったテーマごとにコーナーを作って、楽曲を配列した。このBOXは好評で、1999年1月に同じ規模のCD5枚組で続編の『熱風外伝』も発売することができた。CD-BOXでも合計10枚になった。

『熱風伝説』の制作時にお会いすることは無かったが、発売後まもない頃、スタッフの方に招いて頂いた(確か)渋谷のegg-manでのライブ後に、付近の居酒屋で行われた打上げの席上で初対面。『熱風伝説』についてお褒めの言葉を頂いた。「今までに無い曲順で、良い全集を企画してくれた」という旨のことだったと記憶している。
宴が終わり、店の出入り口にある靴入れの場で、タイミングが一緒になった。ほろ酔いの水木さんは「僕はいつも魂をこめて歌っているからさ…」と、ポツリと語った。この言葉で受けたインパクトが強くて、それに続けてなんとおっしゃったのか思い出せない。

これ以降、ライブの現場でご挨拶させて頂いたり、取材だったり、いろいろな時、場所での水木一郎さんが思い出される。こちらから見て水木一郎さんが後ろ姿の状態だったり、別室にいる状態の時には「その声は?」と言いながら振り返ったり、部屋から出てきた時の笑顔と声も忘れられない。
堀江美都子さんとの『ふたりのアニソン』は、結果的に初期の2、3回を拝見させて頂いただけになってしまったが、このライブの企画が初の試みとして立ち上がった頃、お2人それぞれの関係者から構成のアイデアを欲しいとのことでお声がけを頂いて、渋谷の居酒屋で皆さんと共にライブについて話したことは、とても光栄で貴重な思い出だ(これについては実際、お役に立てたのかどうかは疑問だが……)。

筆者が選曲・出演のラジオ番組(ミュージックバード制作、全国のコミュニティFMで放送の『週刊メディア通信』)にも数年に一度、アルバムのリリースがある時にゲスト出演して頂いていた。そのある時、リスナーからのリクエストもあって「ゼーット!」の雄叫びをお願いすると、ご快諾で即やってくださった。収録中はヘッドフォンを付けてのトークなので、その雄叫びを耳に直接受けたに等しい衝撃。その声の音圧はすごかった。
最後にゲスト出演して頂いたのは2018年、先述のデビュー50周年記念アルバムが発売された時だった。

水木一郎さん、あなたがレコーディングしてきた1200曲以上に及ぶ楽曲、映像作品などから聞こえる歌声は、あなたの分身です。今後も人々の心に、世界中に響き渡っていくことでしょう。
90代になっても歌い続けたいと思っていた水木さんにとっては、想定外の闘病だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんの歌の数々とそれにまつわる思い出、水木さんを通しての人との出会いを、ありがとうございました。

高島幹雄

アニメージュプラス編集部

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