• 【追悼】水木一郎「アニソンの帝王」の歩みとほろ酔いで呟いた歌への思い
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2022.12.16

【追悼】水木一郎「アニソンの帝王」の歩みとほろ酔いで呟いた歌への思い

アニソンの帝王・水木一郎の歌声は永遠に


次のターニング・ポイントは1997年のこの出来事だろうか。『マジンガーZ』をはじめかつて歌ったスーパーロボットアニメの主題歌をセルフカヴァーしたアルバム『ROBONATION/ICHIROU MIZUKI SUPER ROBOT COMPLETE』とそのライブで1997年8月に赤坂BLITZで開催の『ROBONATION SUPER LIVE ’97 SUMMER』。ゲームソフト『スーパーロボット大戦』シリーズと連動して、その後もライブやCDリリースが継続した。水木一郎さんを中心にしたライブはその後のAJF、スーパーアニソン魂などに発展していった。
翌1998年に始まったフジテレビ系のアニソン番組『快進撃TVうたえモン』にほぼレギュラーのように出演。この番組の企画で伝説の「24時間1000曲ライブ」を河口湖ステラシアターで開催した。周囲には水木一郎さんの喉を心配する声もあった。筆者はこの当時に、今年96歳で亡くなられた『マジンガーZ』の作曲家・渡辺宙明さんから「『喉をつぶすからお止めなさい』と電話で話したんですよ」という話も伺っていた。『快進撃TVうたえモン』の最終回でもあった1000曲ライブは成功に終わり、これ以降、テレビ出演の機会が以前より増えた。
近年、筆者が雑誌の取材でお話を伺った時に「一生の中でチャンスは何回もないと言われてますけど、僕の場合、10年おきに来るんです」と語っていた。

2000年代は活躍の幅はさらに広がった。中日ドラゴンズ応援歌「燃えよドラゴンズ」、秋田県のローカルヒーロー「超神ネイガー」のテーマソング、NHK『みんなのうた』、2019年に始まったテレビ朝日系のバラエティ番組『超人女子戦士 ガリベンガーV』の主題歌(初期はナレーションも担当)など、多岐にわたるジャンルで水木一郎さんの「声」が求められた。

50歳の2000年に発行の本『アニキ魂』の中で、アニソンで活躍する仲間たちと共に「21世紀の子どもたちに夢を与え、日本のアニメソングを世界に広めてゆくことが、これからの俺の夢なのである」と綴った。還暦を迎えた2008年にシンガポールの『アニメ・フェスティバル・アジア』に出演、2015年には日・中米交流年の開幕記念イベントとしてコスタリカに招へいされての単独ライブが開催された。
▲『アニキ魂』(2000年・アスペクト/高島氏所蔵)

「トニー・ベネットのように90代になっても歌い続けたい」とも語っていた水木一郎さんは、それを体現するようにますますの活躍中だった。我々が失ったものはあまりにも大きい。

アニメージュプラス編集部

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