• 没後50年『ブルース・リー』の雄姿が、圧巻のスタチューでよみがえる!
  • 没後50年『ブルース・リー』の雄姿が、圧巻のスタチューでよみがえる!
2023.07.26

没後50年『ブルース・リー』の雄姿が、圧巻のスタチューでよみがえる!

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1940年、サンフランシスコのチャイナタウンの病院で生を受けたブルース・リーは、香港、アメリカでの子役活動を経て、18歳でシアトルに単身移住。アルバイトをしながら大学で哲学を学ぶかたわら、中国武術の指導を始め、後に截拳道(ジークンドー)を創始。その後、ハリウッドの俳優やプロデューサーらに武術指導を行う縁で、TV、映画界に再進出。

1971年に公開された、成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒット。

続く『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、製作・監督・脚本・主演の四役を務め、不動のトップスターの地位を確立した。

同年、2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影が開始されるも、ハリウッドとの合作映画『燃えよドラゴン』の企画が持ち上がったため、『死亡遊戯』の製作は中断され、翌年の再開を待つこととなった。

1973年、その『燃えよドラゴン』の世界公開に先駆けた香港公開日7月26日を1週間後に控えた7月20日。
頭痛を訴え、昏睡状態に陥ったブルース・リーは、緊急搬送された病院で死亡が確認、わずか32歳の生涯を閉じるという悲劇が襲う。

葬儀は香港とシアトルで行われた。香港では数万人のファンが葬儀に参列し、シアトルの葬儀にはリーの弟子だったジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンも参列した。遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。

『燃えよドラゴン』のアメリカの公開日は、8月17日。日本公開が12月22日。主役をすでに喪った世界で、映画は大ヒットを記録。ブルース・リーは、香港の大スターから、世界的大スターに駆け上がった……。

没後、香港でのヒット作も順次世界公開され、1978年には、かつて撮影中断となっていた『死亡遊戯』が、すでに撮影済みだったNBAのスーパースター、ロサンゼルス・レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーとの対戦シーンなどを使い、代役を立てた追加撮影などを行い公開された。

ちなみに、現在、八村塁の所属するレイカーズの伝説的スーパースター、カリームは、元々ブルース・リーの武術の弟子で、たまたま休暇で香港に来ていた時に、出演を依頼されたという奇縁を持つ。
偶然が、あの圧倒的な身長差で対峙する、印象的なシーンを演出したというわけだ。

数々の名シーンと強烈な印象を私たちに残して、足早に駆け抜けて行ってしまったブルース・リー。その雄姿をいつまでも見守り、見守られ続けていたい---。

アニメージュプラス編集部

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