• 【追悼】松本零士が遺した「SFビジュアル」「四畳半の青春」「アニメブーム」
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2023.02.26

【追悼】松本零士が遺した「SFビジュアル」「四畳半の青春」「アニメブーム」

仕事場でインタビューに答える松本零士さん 2015年、小林嘉樹撮影

『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』など数多くの作品で一大ブームを巻き起こした漫画家・松本零士さんが亡くなられた。
アニメージュ7代目編集長・大野修一さんに、松本作品がアニメ・マンガカルチャーに与えた影響について綴っていただきました。(編集部)

松本零士先生が2月13日に亡くなられました。
急性心不全とのことです。享年85。
デビューを果たしてから69年。長年のご活躍、本当にお疲れ様でした。
松本先生とは、ご自宅での取材を含め、幾度かお会いすることができました。九州男児のイメージそのまま、豪放磊落な語り口、貴重な数々の体験談が記憶に残っています。
ここから松本先生のお仕事を駆け足で振り返っていきますが、以下敬称略とさせていただきますこと、ご了承ください。

■デビューからの雌伏の歩み

松本零士は1954年、高校1年生の時に『蜜蜂の冒険』という昆虫を擬人化した作品を、当時のマンガ家志望の少年たちがこぞって読んでいた学童社の雑誌「漫画少年」に投稿し、デビューをはたします(投稿者には石ノ森章太郎や藤子不二雄のふたり、赤塚不二夫などのトキワ荘グループに、楳図かずおや桑田次郎も)。

毎日新聞社の「小学生新聞」でやはり昆虫を題材にしたマンガを描いた後、1957年に上京して、少女マンガ誌を中心に(光文社「少女」)、「松本あきら」の筆名で作品を発表してゆきます。少年向け雑誌の初仕事は1960年に集英社「日の丸」で描かれた海外ドラマ『ララミー牧場』のコミカライズ連載、さらに1961年には講談社「ぼくら」でSF活劇『電光オズマ』を、1964年には秋田書店の月刊誌「冒険王」で『潜水艦 スーパー99』を執筆、注目を集めていきます。

大きな転機となったのは、1968年から日本文芸社の青年マンガ誌「漫画ゴラクdokuhon」で連載された『セクサロイド』です。性的能力を持つアンドロイド=セクサロイドのユキが登場する初の青年向け作品は、大人の男性の目線から魅力を追求した松本零士の女性キャラが描かれることで、松本零士という作家の新たな個性が明らかになったと言えるでしょう。

■SF・四畳半・ガニ股・メカ

70年代からマンガ家・松本零士の仕事は急激に拡大していきますが、そこには大きく二つの方向性がありました。
まず一つはSF・メカニックの魅力を追求したもの。
1969年には手塚治虫『火の鳥』が連載される虫プロ商事の雑誌「COM」で連作『四次元世界』シリーズ、また後に『戦場まんがシリーズ』として小学館で単行本化される作品群の執筆が始まります。特に『戦場まんがシリーズ』は兵器をまるで生物のようなタッチ(それこそ初期作品の題材であった昆虫のように)で描き、詩情と叙事が入り混じる独特の魅力を放ち、松本零士の代表作のひとつになりました。
以降も、『ミステリー・イブ』(「漫画ゴラクdokuhon」)、『パニックワールド』(少年画報社「週刊少年キング」)など数々のSF作品を執筆、早川書房「SFマガジン」でも短編を執筆したり、1970年に創刊されたハヤカワSF文庫でC・L・ムーアの「ノースウェスト・スミス」シリーズやアンドレ・ノートン、マイケル・ムアコックの作品の装・挿画を担当。「レイジメーター」と呼ばれる、壁一面に埋め込まれた歯車状のメーター類の描写など、その個性的なビジュアルセンスが認知されていくことになります。

もうひとつの方向性は、貧乏でモテない若い男の日常と心情の活写です。
その代表作は、1971年から講談社「週刊少年マガジン」で連載された『男おいどん』。四畳半のボロ下宿に住む低身長・ガニマタ・メガネの主人公・大山昇太が、女性にフラれながらも逞しく生きていく青春群像劇です。
松本自身の自叙伝的なマンガであり、作中で登場するインキンタムシやパンツに生えるサルマタケ、昇太の大好物であるラーメンライスといった卑近なアイテムとともに読者の大きな共感を得て大ヒット、のちに講談社出版文化賞の児童まんが部門を受賞します。
これほどまでに「私小説的な作品」と「創作エンタテインメント」を両輪のように描き、また共に愛されたマンガ家は松本零士以外いなかったのではないでしょうか。

「手塚治虫」の「塚」は「、」が付いた旧字が正しい表記。

アニメージュプラス編集部

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