――ビデオソフトに収録されていたメイキング映像で、タイツのカラーバージョンがいくつも出てきていたんですが、決定までに悩まれたのでしょうか。赤井 そうですね、プロが色見本をいくつも作って検討しているのを知ったので「自分たちもやってみるか」と。最終的に山賀くんが決めて「紫か……」とは思ったんですが、見慣れると気にならないですよね。
▲『DAICON IV オープニングアニメ』の女の子
――ちなみに赤井さんは何色を推されていたんですか。赤井 ハッキリと覚えていませんが、本物(the Royal)に近いブラウン系だったんじゃないですかね。
――DAICON FILMは全国で上映会を活発に行って、一方で「ゼネラルプロダクツ」(DAICONIII終了後、岡田斗司夫が大阪で開業したSF専門ショップ)でもDAICONアニメの関連商品が続々と発売されましたね。赤井 当時はああいうアニメグッズが珍しい時代だったので「これは絶対売れる!」と思って、一生懸命にイラストを描きましたねぇ。立体物だとメタルフィギュアは良い出来でした。あの頃のガレージキットはまだ玉石混交でしたが、さすがBOMEさん※の作品は可愛くできていました。
▲BOME氏が原型を手がけたガレージキット『DAICONIIIの女の子』
※美少女フィギュアというジャンルを開拓した海洋堂所属の原型師。ゼネラルプロダクツで発売したBOME氏原型の『DAICONIIIの女の子』はBOME氏が初めて製作した美少女フィギュアだという。2022年、文化庁長官賞受賞。
――今の目線で見て、改めて女の子の印象はいかがですか。赤井 もう40年も経っているので美少女キャラのイメージも変わってきていますし、流行りのアニメの絵柄も入ってきて……実は自分でも女の子を描いていて「似てないな」と思うこともありまして(笑)。
――赤井さんご自身のスキルも上がっていますからね。赤井 昔と同じじゃつまらないだろう、という気持ちもあったりするんですけれど、シンプルなキャラクターなので、ちょっとでもニュアンスが違うと印象が変わっちゃうんですね。
――DAICONIVの女の子は、「バニーガールキャラの祖」みたいな印象もありますが、その辺りはどう思われていますか。赤井 それはどうなんでしょう。後に鳥山明さんも『ドラゴンボール』でブルマのバニーガール姿を描いていますし……でもまあ、「漫画にバニーガールを出してもいいんじゃないか」という素地は作ったのかもしれません(笑)。
――夜の世界で展開されていたセクシーな衣装にポピュラリティを持たせたことは大きいですよね。赤井 そうですね。それもSFとバニーガールという要素の落差を楽しんだ結果ですよね。
▲「DAICON FILM大展示会」東京会場(「ワンダーフェスティバル2023 Summer」)での展示の様子
――では最後に、今回の「DAICON FILM大展示会」をご覧になっての感想をお聞かせください。赤井 まさにタイムカプセルですよね。よくあんなものが残っていたな、と。しかも2020年代にあんなに人が集まってくれて……何周もして、ああいうものが受け入れてもらえる時代が来たんだな、と改めて思います。
赤井孝美(あかい たかみ)1961年、鳥取県米子市生まれ。大阪芸大時代に仲間と日本SF大会「DAICON Ⅲ」のオープニングアニメーションを制作。それをきっかけに設立したDAICON FILMで『愛國戰隊大日本』(監督)『DAICON FILM版帰ってきたウルトラマン』(特技監督)『八岐之大蛇の逆襲』(監督)などを手掛ける。1985年にはアニメ制作会社GAINAX立ち上げに加わり、ゲーム「プリンセスメーカー」シリーズほか数多くのアニメ・ゲームタイトルの制作に関わる。2014年に米子ガイナックス株式会社を設立し、短編特撮シリーズ『ネギマン』やWebアニメシリーズ『ガイナタマガー』の制作など、多岐に渡って活動中。
>>>貴重な作品資料が溢れかえる「DAICON FILM大展示会」東京会場の様子を見る(写真40点)(C)DAICON FILM