• 手塚治虫の無茶苦茶すぎる現場がアニメ作家を育てた「虫プロ」の時代【丸山正雄のお蔵出し】
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2023.08.26

手塚治虫の無茶苦茶すぎる現場がアニメ作家を育てた「虫プロ」の時代【丸山正雄のお蔵出し】

左から杉井ギサブローさん、丸山正雄さん、高橋良輔さん (C)浦沢直樹/長崎尚志/手塚プロダクション/「PLUTO」製作委員会


◆身近で感じた手塚治虫の“真意”◆

上映後のトークでは、丸山さん、杉井さん、高橋さんによって虫プロ時代の思い出や、それぞれが直に触れて感じた手塚治虫像、虫プロというアニメ制作会社に漂っていた雰囲気など、貴重な証言の数々が語られた(モデレーターはアニメーション史研究家・原口正宏さん)。

まずは『W3』の企画立ち上げに関する裏話から。
丸山さんによれば「『鉄腕アトム』で手塚さんの存在がいろいろ問題になって(注:手塚の多忙による制作スケジュールの遅れが問題視された)、『ジャングル大帝』(の制作現場)は手塚さんが出入り禁止になったんですよ。恐ろしい会社だと思います(笑)。そういうことが虫プロの凄さだと思う。さらにもっと凄いのは、出入り禁止になって手塚さんは『ジャングル大帝』は全部、(山本)暎一さんにお任せすると言って、潔く身を引いた……と思いきや、なぜか『W3』という企画を漫画で連載し始めて、当時の状況なら当然『これもアニメ化してください』という話が出てくる。つまり、自分が監督としてアニメーションをやりたいから『W3』の原作を描いたんです」。

ところが、連載が始まった途端にアニメ化することになったので原作も溜まらず、結局、手塚は漫画を描くので手一杯に。監督をやると言いつつ、実際には第1話のコンテを描いた程度で、アニメ制作は現場のスタッフに任せられることになった。

「(虫プロの)主要スタッフは全部『ジャングル大帝』をやっている。だから、当時はまだほとんど素人同然の高橋良輔に『あなた、コンテを描きなさい』みたいなことで任せてしまう。『僕がチェックします』とか言うけど結局、時間がなくてチェックしない。本当にめちゃくちゃなんだけれど。最終的には「僕が、責任を取ります」みたいなところがあるんです、あの人は。それが手塚さんのすごいところ」と丸山さんが述べると、高橋さんも「(『W3』のスタッフは)ほとんどの人がコンテ、初めてだったんですよ」とその言葉を裏付けた。

そんな大胆にも思える手塚の姿勢の奥にある “真意” は何だったのか。
「“最後は僕が責任取ります” と言うけれど、それは言葉だけですよ(笑)。だって、誰も手塚先生のせいだなんて思わないし、手塚先生自身も『お前のせいだ』なんて絶対に思われないだろうと考えていたはず。ただし、手塚先生は『あなたも “作り手” ですから』と、『本当はあなたの責任ですよ、あなた自身の “作る” という気持ちで作ってくださいよ」と(いう想いを感じ取っていた)。それに後押しされて、『アトム』からまだ5年くらいしか経っていない頃の、生き馬の目を抜くようなTVアニメの世界で、素人が作っていたんです』(高橋)。

丸山さんも「それができた時代なんですね。人がいなかったから、ということではあるけれど、でも、その中から高橋良輔や富野由悠季が生まれてくるということだと思うんです」と、TVアニメの黎明期だからこその空気感が生んだ可能性と才能を指摘した。
▲高橋良輔さん
▲丸山正雄さん

※手塚治虫の「塚」は旧字体、出崎統の「崎」は「たちざき」

アニメージュプラス編集部

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