• 映画『ジョーカー』日本語吹替版でアーサーを演じた平田広明 『「普通だったね」って言われるのが一番嬉しい』
  • 映画『ジョーカー』日本語吹替版でアーサーを演じた平田広明 『「普通だったね」って言われるのが一番嬉しい』
2020.01.29

映画『ジョーカー』日本語吹替版でアーサーを演じた平田広明 『「普通だったね」って言われるのが一番嬉しい』

1月29日にブルーレイ&DVDリリース、デジタルレンタルが配信開始される映画『ジョーカー』。日本語吹替版では、アーサー・フレック/ジョーカーの吹き替えを平田広明さんが担当している。


――『ジョーカー』はエンターテイメント性とともに社会的なメッセージも込められた作品ですが、それが多くの人に受け入れられた理由は何だと思われますか?

平田 きっと皆さんの中に「アーサーの部分」と「ジョーカーの部分」、両方を持っているんだと思うんですよ。それが共感を生んだんじゃないかな。日本は食べ物に困らないし治安もいい、世界の中でもとても恵まれている希有な国だと思いますが、恵まれた中にも色々な問題はあるでしょうし、不満もあってそれを人のせいだと思いたいこともある。アーサーがそれを代表して背負ってくれてる。弱くて、ダメで、でも優しい、そういうどこにも居そうな人間が、「もうやめた!」ってちゃぶ台返しするんじゃなく、それでも前に進もうとする中、たまたまタイミングでジョーカーへのスイッチが入っていくわけじゃないですか。でも一気に変わるんじゃなく、アーサーとジョーカーが共存する時間を経て、ラスト前でアーサーが消えジョーカーが出来上がる。あのシーン大好きなんですよ。ジョーカーが完成して、エレベーターが閉まる寸前に上げた顔の表情。直後の階段のダンスシーンももちろんですけど。

僕の中にもあるし、きっと皆さんの中にもアーサーの部分とジョーカーの部分があって、それをまたちょっと上から目線で見られる、アーサーに同情しながら共感できるっていうのがいいのかな。題材はアメコミで架空の設定、人物でありながらあんなにリアルに創り上げる、そういう意外性もヒットした理由なのかなと僕は思います。

――正義と悪といった図式でアーサーと対極の存在として最後に対峙するマレーにもそうした側面が現れているように思います。

平田 ひとつの象徴として登場させているのかもしれませんが、対峙するという意味ではむしろ市長候補(トーマス・ウェイン/演:ブレット・カレン)のほうかなという気がします。マレーは『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』のオマージュという意味合いのほうが強いのかなと。それは監督も仰ってますし。なぜジョーカーに市長候補のほうを殺させなかったのかというのはまた興味深いところではありますね。

――マレー役のデ・ニーロの芝居についてはいかがでしたか?

平田 あの人はだってもう……ため息すら出ないですよ。色々な作品を観ましたけど、好きだったのは『ミート・ザ・ペアレンツ』で、「こういうコミカルな芝居もするんだこの人は」って思いました。今回は野島昭生さんが吹き替えをなさってますけど、樋浦勉さんだったり、多くの方が吹き替えてますよね。皆さんプレッシャーを感じないのかなと思ったりしますね。「今回ロバート・デ・ニーロだよ」って言われたら「うわーデ・ニーロ来た……」ってなりそうじゃないですか。それくらい吹き替える側としてはやり甲斐のある、巧みな役者さんですよね。今回、彼がマレーじゃなかったら誰がやったんだろうって想像もつかないですね。

文/小田サトシ

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