――どろどろとした世界観ですが、見ていて気持ちいいですよね。井口 一種の爽快感というか、逆にサドマゾ過ぎて爽やかな感じになったらいいなーと思ったので(笑)
――ブルマを体験していない世代にも、魅力を伝えていただけませんか?押見 僕はリアルブルマ世代なのですが、高校は男子校だったので中学までのブルマなんです。さすがに盗みはしなかったですけどね。中学生の頃に好きだった子がブルマで写っている卒業文集は、その子が写っているところを切り抜いて持ってました。
井口 おおおお
押見 実際に体験していたブルマは、映画に出てくるのと同じ紺色だったので、脳内ブルマのズレはありませんでした。
――体操着はブルマの中入れ派? 外出し派?井口 そこは、それぞれのフェチが出ちゃいますね(笑)
押見 それは、クラスの子がどのような着こなしをしていたかによって左右されるんじゃないかと思います。僕の学校は絶対に入れなければならない学校でしたが、それでも出してる子が好きでしたね。
井口 撮影ではブルマの時代考証をしっかりさせようと思って、2006年にブルマが消滅したと調べるところからはじまり、そこから何色のブルマを使うかで、喧嘩になりそうになったんですね。スタッフは各地方から集まっているのでエンジだ、グリーンだって。僕が紺だったので、紺にさせてくれって、そこだけは我を通しましたね。紺じゃなかったら下りるからなって(笑)。
押見 紺で本当に良かったです。ありがとうございます。
井口 本当ですか、こだわってよかったです(笑)
フェチって、無意識に出てしまうんですよね。ブルマ姿でハードルを飛ぶシーンは脚本になかったんですよ。「体操着のシーンを追加してください」と脚本家の岡田さんに直々にお願いして、あのハードルを飛ぶシーンを足していただきました。この作品はブルマで全てが始まるんだ、という意思を出したかったので。
――まさに、撮影もブルマから始まったわけですね。井口 ブルマの嗅ぎ方の指導も細かくやりましたので、そこから撮影できて本当に良かったと思いました。
――思春期の方へのメッセージと、自分がその頃に、この作品に出会っていたら押見 『惡の華』を描くときに絶望だけでなく希望も描きたいと思いました。僕が10代の頃は希望を信じられなかったので、希望はいらないと思っていましたが、人生には希望が存在することを示したいと思いながら描きました。もし絶望している人がこの映画を観て、自分の人生に希望を見出してくれたら嬉しいです。
僕が10代の時に観ていたら救われたんじゃないかな……と思います。映画の中に自分がいると思いましたし、春日がうらやましくて、「お前は一人で行っちゃうのか」と思いましたけど(笑)。取り敢えず、仲村さんは心の中に住むだろうなと思います。映画を観た人の心にも仲村さんを住まわしてくれたら嬉しいと思います。
井口 僕も中高生の時に、学校になじめなかった時期が長くあり、その時に、大きな力に反発する内容の小説だったり、『青春の殺人者』のように親を殺して家を飛び出すようなATG(※)の映画であったり、『太陽を盗んだ男』のように、原爆で政府を脅すような映画だったりを観て、現実の居心地の悪さを映画に救われた時代があったんです。『惡の華』を初め読んだときに、そういう力があると感じました。試写会のときに、ファンから「『惡の華』の原作を読んで、10代を救われて生きることができました」という言葉を聞いて、映画の役割として、生きづらい10代を送っている人たちの、救いの一歩になったらと思ってます。悩んだり迷ったりしている人に観てほしい。
そして、まだ原作を読んでない方も、過去に読んだ方も、もう一度、原作を読んでもらえればと思います。
10代のときに別の監督の作品として、この作品に出会っていたら「春日モテていいなー」って思いますね(笑)
押見 読者からも「どうして俺の周りには、仲村さんがいないんだ」って言われますね。
井口 「仲村さんがいてくれたらなー」って、気持ちになっていただけたらと思います。
――漫画と実写映画の間にある脳内再生のギャップは、役者の芝居や内に秘めた魅力が説得力となって補完している。それを正しく受け入れて華を咲かせることができたのは、押見先生を井口監督が根本から理解しているからだと感じた――※ATG:日本アート・シアター・ギルド。商業ベースにのらない芸術的な作品の製作・配給を目的とした映画会社。
原作者・押見修造×監督・井口昇の映画『惡の華』インタビュー
『惡の華』9月27日(金)より、 TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
(c)押見修造/講談社 (c)2019映画『惡の華』製作委員会