• 谷口悟朗監督が藤津亮太に迫る「アニメ評論家」という仕事とその現実
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2022.10.01

谷口悟朗監督が藤津亮太に迫る「アニメ評論家」という仕事とその現実

(左より)藤津亮太氏、谷口悟朗監督


谷口 最初はああ言ったものの、それこそ美術の世界だとマックス・ドヴォルシャックの『精神史としての美術史』みたいな観方を指し示すものがあるわけですから、アニメでもそういう書籍があってしかるべきだとは思います。ただ同時に、それはミスリードする可能性もあるわけじゃないですか。

藤津 ミスリードとは?

谷口 極端な例で言いますけれど、チェーホフの『可愛い女』という作品に対して、トルストイが自身の思想と重なるところからこれを絶賛するわけですけれど、それは極めて個人的な立脚点に準拠するもので、チェーホフの思惑とはかけ離れていたんですね(※)。つまり、ひとつの作品の見方を変えてしまう怖さがある、ということです。

勿論その点は十分に配慮して書かれているとは思いますが、その怖さに関してはどう考えていらっしゃいますか?

藤津 怖さがないわけではないんですが、そこはトルストイが「実作者」だったからミスリードが起こったんだと思うんですよ。僕は作品を作らない第三者的な立場にあるのでなるべく作品に寄り添う、既に出来上がっている作品の形に添って読み進めて、良いと思ったところを深掘りしていく感じにしています。

僕は大学で非常勤講師を務めていたのですが、授業で学生に作品を見せて画面に映っているものから掴んだことをレビューさせる際には「批判はいいけれども、誤読は許されないよ」と伝えました。さっきのトルストイじゃないですが、好意的な評なら誤読は、作品の可能性を広げたという形で受け入れられるわけですよ。もちろん限度はありますが。

谷口 フフフ、なるほど。

藤津 作品自体を壊さないことで可能性を広げる読解が逆に成立する場合があるわけですけれども、間違った批判をすれば単純に作品が理解できていないことを露呈するだけになってしまいますから。

谷口 それはまったく正しい話ですね。私が日本映画学校(現・日本映画大学)での淀川長治さんの講義で、明確に画面から読み取れるもの――描かれている事象だけから良かったもの、暗喩や隠喩などを積み上げて語ってくれたのでとても勉強になったし、このスタイルなら映像からの評論は成り立つのかな、と思えたんですね。

藤津 映画評論の分野で言うと、町山智浩さんの原稿も面白いとは思うんですが、視点がやや属人的なんですね。「監督にこういう背景や思考があるから作品はこうなるんだ」という切り口が多いと感じているんですが、僕はそれをやりたくないんです。あくまでも作品を主語にして、監督の言葉を拾うにしてもその作品についてオーソドックスに聞かれたインタビューをメインに言及することにしています。

谷口 でもね、これを私の立場から言うと何なんですが……。

藤津 ああ、「監督の言葉をどこまで信用できるか」ということですよね。

谷口 信用しちゃいけないですよ!(笑)  だって、作品ができた時のインタビューって、基本的にお客さんに「テレビで観て下さい」「劇場に来て下さい」というのが目的ですし、そこにつながることをいっぱい言いますから。それと実際の言いたいことは別の場合もありますからね。

あとインタビューの時に困っちゃうのが「この作品のテーマは何ですか?」という質問でね……ほとんどの監督さんはテーマ主義なんかで作っていませんから。

藤津 インタビュアーの立場から言うと、作品を観るとテーマが浮かび上がってくることがあって、それが意図的なのか違うのか、それを監督に確かめたいと思う時はあるんですね。その場合は「こういうことを描いている作品に見えますが、それはどう思いますか?」という訊き方をしますね。それはインタビュアーの立場だとちょっとは踏み込んでおかないいけない部分と思うので。

谷口 ああ、そういうことですか。それはとても理解できます。

藤津 僕が思うに、テーマって言うのは最終的には観客が発見するものなのではないかと。なので、評論を書く際には作者の思惑は置いておいて、作品にちりばめられたパーツがどう並んでいるかから解釈して「作り手が描こうとしているものではなく、この作品が指しているものはこれだ」という言い方をすることにしています。

谷口 そうですね、おそらくそれが一番健全なやり方なんでしょう。作り手って下手すると、作った一年後に作品への考え方が変わっていることがあって、後のインタビューでナチュラルに嘘をつく可能性もあるわけです。

藤津 作っている間に考えが変わることもありますし、取材を受けているプロモ期間の中でも最初と最後で違うことを言うパターンもありますからね(笑)。最初はまだ考えを言語化できていないんですけれど、いくつか取材を受ける中で「だいたいこういうことでは?」という考えがまとまっていくんですね。そこで、言葉のセレクトも変わってきますし。

谷口 それは間違いなくあるから、仕方ないですよね。言語化しきれないから映像にするわけで、それをまた言語化するのは外部からの刺激がないと無理なんですよ。

※チェーホフ『可愛い女』は、愛した男性に合わせて自分を変えて献身していく女性の姿を描いた短編小説。自我を捨てて他人に尽くす主人公の生き様をトルストイは絶賛したが、当のチェーホフは他人に対し盲目的に従属する人物を風刺する意図で作品を執筆していた。

アニメージュプラス編集部

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