• 富野由悠季が自身の展覧会で理解した「作家になれていない」という事実
  • 富野由悠季が自身の展覧会で理解した「作家になれていない」という事実
2022.05.23

富野由悠季が自身の展覧会で理解した「作家になれていない」という事実

富野由悠季監督 撮影/真下裕


――それはどういうことでしょうか?

富野 30年くらい前から「手塚治虫先生があれだけいろいろな作品を作れていたのは、何だったんだろう」って考えていたんですよ。あの方は、漫画家であるがためにすごく視野が広くて、それこそ医学から空想科学のことまで含めて、ひょいと作品に取り込める。これは一般論的な「学識」ではなく漫画家の「発想」なんだけど、『火の鳥』や『鉄腕アトム』だけじゃなくて時代劇も描いてるし、ヒットラーの話(『アドルフに告ぐ』)だって描いている。それって「学識がない」って言えます?

――そう表現していいのかどうか……難しいですね。

富野 結局のところ、自分には仕事を通して物事を生み出す「創造力」があるっていうことだったんじゃないかと思うんです。ひょっとしたらそれは学識以上のものなんだけれど、媒体がアニメであったために文学ほどに克明に検証されていない、っていう考え方があるわけです。
僕はとりあえず調子を合わせることしかやってなくて、そういう資質が自分には全くなかったなって言うことを思い知らされたのが今回の展示なのです。だから「富野っていうのはロボットものしか作れなくて似非SF的なところから一歩も出られていない、作家にはなってないんだ」っていうことだけは理解できました。

――とは言え、そういったお仕事をひとまとめに見られる場という意味において、今回の展示はかなり貴重な機会だと思うのですが。

富野 もちろんそうです。でも、そういう場合の「貴重」っていうのはどういうことかを今回考えてみて分かったんですけれど、それは「時代性」なんです。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉がありましたが、1980年頃に日本が技術立国として大きな繁栄を遂げていて、理工科系に対する夢と希望というものが時代の背景にあった。その同意が観客の中にあることで、僕のような仕事、巨大ロボットもののアニメがひとつのジャンルとして確立することができて、僕のような気質の人間でもこの歳になるまで食わせてもらえるような環境を手に入れることができたと理解しています。だから僕の力はほとんどないわけです。

――そんなはずはないでしょう!

富野 まあ当事者がここまで言っちゃうと全部謙遜になるから、ひとつだけ偉ぶったことを言わせてもらうなら、そういう時代の渦中で、果たして技術力一辺倒でいいのか、帝国主義の大量消費社会に進んでいいのか、っていうことは当時から自分自身で疑い続けていました。そうなるとやはり人類は絶滅するんじゃないかっていう気分があって、『ガンダム』で象徴的に描いてみたら、やはり間違いなくそういうところへ行くっていうことがわかってきた。
理工科系の思考だけでいったら、おそらく地球は保たない。だからもう少し緩やかにモノを考えるというメッセージを、巨大ロボットアニメのジャンルでも発信していく必要があるんじゃないかなと思ったわけです。これに関してはそれを意識して作った作品があることを考えると、やっぱり富野はただ単に巨大ロボットものを作ったんじゃないんだよね、っていう自負はあるわけです。

――ここ20年くらいの監督の作品は、そういう意識を取り入れて新たなスタンダードを生み出そうという意欲を感じますね。

富野 それは『Gのレコンギスタ』の企画を考え始めた時にもそう思いました。あの作品ではエネルギー論も含めて「人類が絶滅しないためにどうしたらいいか」っていう話をしているわけだけど、いわゆる『ガンダム』のような戦記物はそのテーマがない。そこに決定的な違いがあるんですよ。
象徴的なことを言えば、ガンダムファンっていうのは『G-レコ』を観て、とにかく「わからなかった」って言うんです。それはそうですよ、だって『G-レコ』はガンダムじゃないんですから。

――そもそもの作品の立脚点が全然違うということですね。

富野 はい、全然違います。

――先ほどの『G-レコ』の脚本の表紙の話はそこに繋がっているわけですね。

富野 はい。あと、この前、文化功労者に選ばれたでしょう。本来なら、僕は国からの賞を貰えるような立場ではないはずなんですよ。なのになぜ貰えたか、それが後でわかっちゃったんです。

(後編に続く)

>>>富野由悠季監督の取材風景を見る(写真12点)

取材協力/やまむらはじめ
撮影/真下裕

アニメージュプラス編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事

RELATED関連する記事

RANKING

人気記事