『仮面ライダー電王』のモモタロスなどのデザインで知られた韮沢靖。雨宮慶太、桂正和、寺田克也、竹谷隆之といった個性あふれるメンバーと学生時代から親交が厚く、クリーチャーデザインの斬新さに定評があった韮沢靖さんだが、2016年2月2日、腎不全により52歳の若さで急逝した。
造型師でありキャラクターデザイナー、イラストレーターである韮沢さんは、映画では『ゴジラ FINAL WARS』などにキャラクターデザイナーとして参加。
2004年に初めて「仮面ライダー・シリーズ」と関わった『仮面ライダー剣』のアンデッドから始まり、『カブト』『電王』へと続くクリーチャーのデザインを担当。フィギュア作成のために描かれた『デビルマン』や『マジンガーZ』の大胆なアレンジメント、オリジナルデザインなどの人気が高かった。
2016年4月6日(水)には縁の深かった(株)アート・ストームの運営により、科学技術館・地下サイエンスホールにて「韮沢 靖を偲ぶ会 / NIRA’S SHINOBUKAI」が開かれることになった。一般参加の方の御献花時間は17:30~19:30。当日、ご参列いただいた方全員に「韮沢靖を偲ぶ会/NIRA’S SHINOBUKAI」ポストカードが渡される。
追悼:韮沢靖
昭和の伝説に「トキワ荘」という〈場〉がありました。
手塚治虫を慕って、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、赤塚不二夫などのちに日本のマンガを背負い、アニメや特撮番組などのカルチャーの礎を築いた同世代の面々が、古アパートの同じ屋根の下で切磋琢磨を続けていました。
少女マンガの世界では、萩尾望都、竹宮惠子を中心に、少女マンガを変革していった「24年組」が集った「大泉サロン」がありました。
またアメリカでは、ロジャー・コーマンのもとで仕事をこなしていたコッポラやスピルバーグ、ルーカス、スコセッシといったまだ無名の若者たちが、後に皆、大監督に成長していった例なども。
シュトゥルム・ウント・ドラング。ヌーヴェル・ヴァーグ。ニューウェーブ。
同世代の若者たちが、同じ時期に集まり、新しい表現を求めて活動することで、ジャンル自体に大きな変革が訪れる、歴史的な出来事としてこのような〈動き〉が表出します。
そして、日本のデザイン・造型の世界でも約35年ほど前に、そういった〈動き〉がありました。
阿佐ヶ谷・荻窪といったJR東日本の中央線駅近隣で、まだ20代の若者だった雨宮慶太、桂正和、寺田克也、小林誠、韮沢靖などの面々が集い、〈新しいなにか〉を作り始めたのです。そのときの〈新しいなにか〉たちは、『牙狼〈GARO〉』として『ZETMAN』として、さまざまなイラストや映像や玩具として多数にわたって具体化され、ジャンルを刷新していきました。
その集団がなにを議論し、なにを競い、どのような感情でつながっていたのか、当事者でないものにとっては知るよしはありませんが、たぶん全員、そのすべて才能がそれぞれ重要なパートを担っていただろうことは想像に難くありません。
彼らがいたことで、ジャンルの基準があがりました。多くのものが格好良くなり、中途半端な表現が封殺されることになりました。
彼らが変えた、という事実は明らかに残っています。
腎不全で2月2日、韮沢靖さんが亡くなられたことが、本日公式に通知されました。
お疲れさまでした。
享年52――1964年早生まれの私にとっては同学年の人物の訃報でもあります。
腎不全だったとのこと、本当にお疲れさまでした。
あなたが〈変えた〉以降の世界でもうしばらく、玩具を、TVを、映画を、楽しませてもらいたいと思っています。
お疲れさまでした。有難うございました。